序文(導入)
PMBOK(R)第8版を読み始めて、最初に感じたのは意外性でした。
従来のPMBOKにあった「プロジェクト管理の標準」という読み心地とは、明らかに異なっていたからです。
一方で、読み進めるうちに、別の感覚も湧いてきました。
それは既視感です。
どこかで、同じ構造を見たことがあると思いました。
そう感じた瞬間に頭に浮かんだのが、ITIL4のサービス・バリュー・チェーンでした。
PMBOK第8版で前面に出てくる System for Value Delivery は、
プロジェクト管理の話をしているはずなのに、
「サービス」「運用」「価値の循環」といった、ITIL4的な文脈と非常によく似ています。
PMBOK第7版でも「価値にフォーカスする」という原則に基づいた考え方の基礎はできていましたが、第8版ではさらに踏み込み、価値提供するシステムを完成させたという位置づけになります。
本記事では、
- System for Value Delivery とは何か
- なぜ第8版でこの概念が前面に出てきたのか
- 第7版と何が本質的に変わったのか
を整理しながら、
PMBOKがどこへ向かおうとしているのかを私なりに読み解いていきます。
※2025年12月現在では、PMBOK(R)第8版の日本語版はリリースされておりませんので、日本語版が出てきたときに用語の翻訳、解釈などの微妙なズレがあるかも知れませんが、あらかじめご了承ください。
前提:PMBOKは何を変えようとしているのか
第6版までの「管理中心」の限界
第6版までのPMBOKは、極めて完成度の高い管理の体系でした。
スコープ、スケジュール、コスト、品質、リスク。
プロジェクトを手法、プロセスによって「いかにコントロールするか」という点では、非常に実務的です。
しかし一方で、現場では次のような違和感が広がっていました。
- プロジェクトは計画どおり終わったのに、事業成果が出ない
- 管理としては成功だが、使われない成果物が残る
- 「で、結局このプロジェクトは何の役に立ったのか?」と問われる
つまり、「管理の成功」と「価値の成功」は同じではないのではないか。
そもそも、プロジェクトは管理を目的とするのか、価値を目的とするのか。
こうした問いが、第6版までのPMBOKから自然に生まれてきます。
第7版で起きた転換(原則主義)
この反省を受けて登場したのが、第7版でした。
第7版では、
- プロセス中心からの脱却
- 原則(Principles)主義への転換
が行われました。
「状況に応じて考えよ」
「価値にフォーカスせよ」
というメッセージは、間違いなく重要な進化でした。
ただし、第7版は思想の提示に留まっていました。
価値を重視すべきことは示されましたが、
では、その価値はどこで、どう生まれるのかという構造までは踏み込んでいなかったと思います。

プロジェクト完了 ≠ 価値創出
第7版以降も、現場ではこのズレが残り続けました。
- プロジェクトは終わる
- しかし、価値は後工程(運用・事業)で初めて問われる
プロジェクトは「点」で評価され、
価値は後工程の「線」や「循環」で生まれる。
この時間軸のズレやギャップが、PMBOKの中では整理しきれていなかったと思います。
プロジェクトと運用・プロダクトの断絶
もう一つの大きな課題が、
プロジェクトと運用、プロダクトとの断絶です。
- プロジェクトは「一時的な取り組み」
- 運用やプロダクトは「継続的な活動」
この切り分け自体は正しいのですが、
実際の価値はその境界をまたいで生まれます。
これをどう扱うのかを導くことが、第8版で正面から扱われることになったと思います。
System for Value Deliveryとは何か(要約)
System for Value Deliveryの定義
PMBOK第8版における System for Value Delivery とは、
プロジェクト単体を主役にしない考え方と読み解きました。
プロジェクトは、
戦略から運用までを貫く価値創出の仕組みの中の一要素です。
ここが、これまでのPMBOKとの決定的な違いです。

プロジェクトは「価値創出システムの構成要素」
第8版では、明確にこう位置づけられます。
- 価値を生むのはプロジェクトそのものではない
- 価値は、システムとして設計・連携された活動から生まれる
プロジェクトは、
価値創出システムを構成するエンジンの一つという扱いだと思います。
System for Value Delivery の位置づけ
- Internal Environment(内部環境)の中に存在
- 組織の以下を含む
- 方針
- プロセス
- ガバナンス
- 方法論
- フレームワーク
この部分は、経営が設計し、マネジメントできる領域です。
External Environment(外部環境)の役割
外部環境は、System for Value Delivery を包み込む外枠として描かれています。
PMBOK本文では、外部環境の例として次を挙げています。
- 経済状況
- 競争環境
- 法規制・法的制約
- 社会・文化的要因
- 技術トレンド
重要なのは、
外部環境は価値提供システムの一部ではない
という点です。
構成要素の全体像

Example of a System for Value Delivery (PMBOK第8版より引用)
System for Value Delivery は、次の要素で構成されます。
- Vision / Mission
- 組織戦略・戦略目標(Mission・Vision)
- ポートフォリオ
- プログラム・プロジェクト・プロダクト
- オペレーション
- 成果・便益・価値
重要なのは、これらの要素が連動する構造となっています。第7版より範囲が広くなってきています。
価値(Value)の再定義
PMBOK第8版における価値は、金銭的な成果に限定されません。
- ブランドや信頼
- 知識や能力の蓄積
- 従業員のウェルビーイング
- 社会的価値、環境への配慮
こうした無形価値・社会的価値・持続可能性も含めて、価値と定義されています。
つまり、成果物を納品して、検収してもらい、売上が立つという単純な構造ではなく、価値の定義から、その価値を提供できたか?が問われるものとなります。
PMBOK Section 2.1.2より
The timing of this value realization depends on the nature of the product and the project—it can occur during the project, immediately after its completion, or in the short or long term.
「この価値実現のタイミングは、製品とプロジェクトの性質によって異なります。プロジェクト中、プロジェクト完了直後、短期的または長期的に発生する可能性があります。」
という記述にも表現されているように、価値はプロジェクト完了後、長期的にも発生する可能性があり、その価値にも言及する必要があることを意味しています。
System for Value Deliveryに込められた思想
成果物至上主義からの脱却
従来のプロジェクトの成果物のデリバリから一歩踏み込んだ考え方となっています。
- 作ったか
- 終わらせたか
ではなく、
- 何が残ったのか
- どんな価値を生み続けているのか
が問われます。
Done ≠ Value
これは、第8版全体のメッセージだと思います。
成果とは、プロセスまたはプロジェクトの最終的な結果または帰結といういことが定義されています。
成果、可能な代替案、そして戦略的意思決定に焦点を当てることで、プロジェクトの長期的なパフォーマンスが重視されます。
これを「プロジェクトの成功の2つの側面」と解説しています。
1つ目の側面は、意図した価値を実現する上でのプロジェクトの有効性に焦点を当てています。
2つ目の側面は、プロジェクト管理プロセスの効率性に焦点を当てており、これは、プロジェクトがコスト、スコープ、時間、品質などの制約をどの程度遵守しているかによって測定されます。
これは
・ 管理としては失敗だが、価値としては成功
・ 管理としては成功だが、価値としては失敗
という状況が起こり得るということを意味します。この切り分けの考え方がより成果重視から価値重視へ変貌した部分と思います。
システム思考への明確な転換
System for Value Delivery は、典型的なシステム思考です。
- 部分最適ではなく全体最適
- プロジェクトの成功と、価値の成功を切り分けて考える
第7版では、プロジェクトの原則を定義し、第8版では原則をもとにシステム化をしたというイメージとなります。
第7版が「どう考えるべきか」を示したのに対し、
第8版は「その考え方を、組織としてどう成立させるか」を示しています。
System for Value Delivery とは、原則を実行可能な形に落とし込むためのシステムと理解できます。
ステークホルダーとの価値共創
もう一つの重要な思想が、価値共創です。
PMがすべてを背負う構造は、もはや前提ではありません。
- Sponsor
- Product Owner
- Team
それぞれが責任・役割を分担し、
相互作用の中で価値を生み出す構造が描かれています。
プロジェクトがエンドユーザーの変化するニーズに常に適合していることを保証するための、反復的な検証および妥当性確認プロセスが含まれるといういことが説明されています。
「PMBOK Section 2.4.2 Solicit and Manage Feedback(フィードバックの要請と管理)より」
これは、ITIL4のサービス・バリュー・チェーンの考え方と非常に親和性が高い部分でもあると理解しました。
第7版との違いを整理する
ここまで見てきたとおり、PMBOK第8版は第7版の単なる延長ではなく、視点の置きどころに違いがあると思います。これは「プロジェクト」視点から「価値を生み出すシステム」への転換といえると思います。思想、構造、成功定義との違いを以下に整理します。
思想レベルの違い
| 観点 | 第7版 | 第8版 |
|---|---|---|
| 基本スタンス | 原則(Principles)中心 | システム(System)中心 |
| メッセージ | 価値を意識 | 価値はシステムで生まれる |
| 主語 | プロジェクト/PM | 組織の価値提供システム |
第7版は、
「PMはこう考えるべきだ」という思考の転換を促しました。
第8版はそこから一歩進み、
「では、その考え方をどこに組み込むのか」という設計思想に踏み込んでいます。もはや「プロジェクトマネージャー」という肩書で、一人でプロジェクトを管理するという思想よりかは、プロジェクトマネジメントの責任を各機能に割り当てシステムを構築するという発想となっています。
PMBOKには以下の記載があります。
”多くの組織では、「プロジェクトマネージャー」や「プロジェクトマネジメントチーム」という肩書きが、必ずしもプロジェクトを管理している人物を明示的に示すとは限りません。
各プロジェクトのガバナンス構造と状況によって、プロジェクトマネジメントの責任の割り当てが決まることがよくあります。
例えば、場合によっては、財務マネージャーや人事マネージャーなどの機能マネージャーが、プロジェクト活動を監督し、部門の目標や戦略との整合性を確保することがあります。”
構造の違い
| 観点 | 第7版 | 第8版 |
|---|---|---|
| 中心概念 | プロジェクト | Value Delivery System |
| プロジェクトの位置 | 価値創出の主体 | システムの構成要素 |
| 戦略との関係 | 間接的 | 明確に接続 |
第7版では、
プロジェクトは依然として「中心」に置かれていました。
第8版では、
プロジェクトは主役ではなく、主体は価値を生み続ける仕組みそのものということかと思います。
成功定義の違い
| 観点 | 第7版 | 第8版 |
|---|---|---|
| 成功の考え方 | 暗黙的 | 明示 |
| 管理の成功 | 強調されない | 明確に評価対象 |
| 価値の成功 | 重視されるが抽象的 | 戦略・成果との接続 |
第8版では、成功を次の2つに分けて考えます。
- プロジェクトの成果の成功(価値の成功)
- プロジェクトマネジメントとしての成功(管理の成功)
これは、一歩踏み込んでより現実的、実務的な考え方に変わってきたと思います。これにより、結果的にプロジェクトマネジメント自体の価値を高めることに繋がるのではないでしょうか?
プロダクト・運用との距離感の違い
| 観点 | 第7版 | 第8版 |
|---|---|---|
| プロダクト | 補助的な扱い | 明確な統合対象 |
| 運用 | プロジェクト外 | 価値実現の一部 |
| 時間軸 | 有期中心 | 有期と継続の接続 |
第8版では、
プロジェクトは「終わるもの」だが、
価値は「続くもの」であることが、明確に前提化されています。(プロジェクト完了後に価値が実現するプロジェクトもある。)
ITIL4のサービス・バリュー・チェーンとの共通点
PMBOK第8版を読んでITIL4を思い出したのは、偶然ではありません。

共通する構造的特徴
| 観点 | ITIL4 | PMBOK第8版 |
|---|---|---|
| 中心概念 | Service Value System | System for Value Delivery |
| モデル | 循環型 | 循環型 |
| 重視点 | 価値の共創 | 価値の共創 |
| 改善 | 常に前提 | 暗黙的に前提 |
両者に共通しているのは、
直線的な「作って終わり」のモデルを否定している点です。
決定的な違い(出発点)
| 観点 | ITIL4 | PMBOK第8版 |
|---|---|---|
| 起点 | 需要・サービス | 戦略・投資 |
| 主戦場 | 運用・サービス | 変化・変革 |
| 時間軸 | 継続 | 有期+継続 |
ITIL4は、
「価値を回し続ける」ためのフレームワークです。
PMBOK第8版は、
「価値を生み出す変化をどう組み込むか」を扱っています。
登り口は違うが、目指している山頂は同じ、という表現が最も近いでしょう。
現場PMの視点でどう読むべきか
PMBOK第8版は、
「この通りやればうまくいく」という本ではなく、むしろ、
なぜこのプロジェクトをやるのか、この活動は価値創出システムのどこに位置づくのか
を問い続けるための視点を提供しています。
現場PMに求められる役割も変わります。
- 管理者
- 調整者
- 翻訳者(戦略と現場の)
特に、ITIL4やプロダクト思考に触れてきたPMほど、
第8版の主張は「新しい」というより
ようやく言語化されたと感じるのではないでしょうか。
まとめ:PMBOK第8版が示したメッセージ
PMBOK第8版が一貫して伝えているメッセージは、非常にシンプルです。
- プロジェクトは目的ではない
- 価値は、システムとして設計されなければ生まれない
- PMは、そのシステムの一部を担う存在である
PMBOKは、
「プロジェクト管理の標準」から、
価値創出を設計するための思考フレームへと進化しました。
それが System for Value Delivery という言葉に込められた、本質だと考えています。

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