はじめに
プロジェクトが思うように進まないとき、
その原因はスキル不足や計画不備ではなく、「判断がどこで止まっているか」にあることが少なくありません。
承認待ちが続く。
現場が自分で決められない。
プロジェクトマネージャーが細部まで判断を抱え込んでしまう。
こうした状況は、いくつかの場合「権限委譲」の問題として語られます。
しかしその議論は、「あのプロマネは人に仕事を任せられない」「もっと任せるべきだ」「信頼が足りない」といった精神論に終始しがちです。
一方で、PMBOK第8版を読み進めていくと、少し奇妙な印象を受けます。
高いパフォーマンスを発揮するチームの条件として、
自律性やエンパワメント、判断(Judgement)の重要性は繰り返し語られているにもかかわらず、
「権限委譲そのものをどう設計するか」という説明は、ほとんど出てこないのです。
つまり、PMBOK第8版は、権限委譲が「すでに成立していること」を前提に、その先のプロフェッショナリズムを語っているガイドだと読み取ることができます。
では、権限委譲とは本来どのような概念なのでしょうか。
なぜPMBOK第8版は、それを詳しく説明しないのでしょうか。
そして、その前提に立たされているプロジェクトマネージャーには、何が求められているのでしょうか。
本記事では、まず権限委譲を学術的・理論的な観点から整理し、次にPMBOK第8版の記述を丁寧に読み解きながら、「語られていないが、確実に前提とされている権限委譲の哲学」を明らかにしていきます。
権限委譲を「人に任せる話」ではなく、判断をどこに置くかを設計する問題として捉え直すこと。
それが、PMBOK第8版を実務で活かすための、重要な補助的思考となると考えています。

権限委譲(Delegation)とは何か?──学術的背景から見る組織運営の核心
権限委譲(Delegation)は、組織運営の基盤となる重要な概念の一つです。
しかし一般的には、「仕事を任せる」「業務を振る」といった表層的な意味で理解されがちです。
実際の権限委譲は、古典的なマネジメント理論から現代の意思決定論に至るまで、「誰が、何を、どの範囲で、どの基準で判断するのか」を業務を設計する行為として扱われてきました。
本章では、権限委譲という概念が、どのような論理と哲学のもとで形成されてきたのかを整理します。
権限委譲の定義:判断と責任を移す行為
権限委譲は、単なる業務の移管ではありません。一般的には、次の要素をセットで移転する行為と定義されます。
- Authority(権限):意思決定の裁量
- Responsibility(責任):成果に対する義務
- Decision Criteria(判断基準):判断を行う際の前提となる原則やルール
特に重要なのは、権限委譲が
「作業を任せること」ではなく、「判断を委ねること」
である点です。
そのため、権限委譲は負荷軽減の手段ではなく、組織として判断を分散し、自律性を高めるための設計行為と位置づけられます。
古典マネジメント理論が示した権限委譲の基礎
権限委譲は、経営学の黎明期から一貫して重要なテーマとして扱われてきました。
■ Fayol(ファヨール):権限と責任の一致
ファヨールは「14の原則」の中で、
権限(Authority)と責任(Responsibility)は一致していなければならない
と述べています。
権限を与えずに責任だけを負わせること、あるいは責任を伴わない権限を与えることは、
いずれも組織の機能不全を招くとされました。
Authority is the power to give instructions, while responsibility is the duty to complete the assigned task. Fayol believed both must go hand in hand.
(訳)権限(命令を出す力)とは指示を出す権利であり、責任とは割り当てられた仕事を完了する義務である。ファヨールは、両者は常に一致しなければならないと考えた。
■ Barnard(バーナード):権限受容説
バーナードは、権限とは上位者が一方的に与えるものではなく、受け手が受け入れたときに初めて成立すると考えました。
この考え方では、権限委譲は命令行為ではなく、合意と納得を前提とした関係性の上に成り立つものとされます。
■ Drucker(ドラッカー):成果責任の単位としての権限委譲
ドラッカーは、知識労働が中心となる社会において、成果を生み出す単位に権限を与えることが不可欠であると述べています。
ここでの権限委譲は、業務の委任ではなく、成果と判断を結びつけるための仕組みとして位置づけられています。
現代の権限委譲理論:意思決定とリーダーシップの進化
現代のマネジメント理論では、権限委譲は意思決定のあり方を設計する問題として扱われます。
■ Vroom–Yetton モデル:意思決定参加度の調整
状況に応じて、
- 自分で判断する
- 関係者に相談して判断する
- 判断を完全に委ねる
といった意思決定スタイルを使い分けるべきだとする理論です。
権限委譲には段階があり、状況依存で設計されるべきだと示しています。
■ Situational Leadership II(SLII):成熟度に応じた権限委譲
メンバーの成熟度が高いほど判断を委ね、成熟度が低い場合には指示や支援を厚くする、という考え方です。
このモデルは、権限委譲に普遍的な正解は存在しないことを示しています。
■ Decision Rights(意思決定権)という経営の視点
近年の経営理論では、権限委譲は「誰が何を決めるのか」を明確に定義する行為として整理されます。
権限委譲が成立するための前提条件
権限委譲は、「任せる」と宣言するだけでは成立しません。
少なくとも次の前提条件が必要です。
- 判断力:委ねる側・受ける側の判断能力
- 信頼:心理的な信頼関係
- 期待値の明確化:役割・範囲・基準の共有
- 遂行能力:与えられた権限を扱う実行力
- 成果責任の合意:責任の所在についての共通認識
これらが欠けた状態での権限委譲は、
混乱や手戻りを生み、結果として管理コストを増大させます。
権限委譲の本質:組織は判断を分散させる仕組み
ここまでの議論を整理すると、権限委譲の本質は明確になります。
- 組織とは、判断を分散させることで価値を生み出す仕組みです
- 権限委譲とは、そのための 判断権を意図的に設計する行為です
- 判断が分散されて初めて、組織はスピードと拡張性を獲得します
この考え方は、PMBOK第8版が重視する判断(Judgement)と価値創出(Value Delivery)という思想と深く結びついています。
PMBOK第8版に散りばめられた 権限委譲(Delegation) の哲学を読み解く
PMBOK第8版では、「Delegation(権限委譲)」という言葉はセクションとして中心概念として前面に出てきません。
しかし読み進めていくと、権限委譲と自律性を前提としなければ、プロジェクトは高いパフォーマンスを発揮できないという思想が、一貫して流れていることが分かります。
本章では、PMBOK第8版が
- 権限委譲をどのように前提条件として扱っているのか
- そして、どこでパフォーマンスとの因果関係として語っているのか
という観点から、その哲学を読み解いていきます。
原則としてのリーダーシップ:判断を抱え込まないという前提
PMBOK第8版で示されているリーダーシップは、指示・命令によってチームを動かすことを中心に据えたものではありません。
原則の中では、リーダーの役割として次のような姿勢が強調されています。
- チームが判断できる環境を整えること
- 自律的な行動を促進すること
- 必要以上に意思決定を集中させないこと
これは、リーダーとは自ら判断し続ける存在ではなく、判断が適切に行われる状態をつくる存在である
という前提を示しています。
ここでのリーダーシップは、すでに権限委譲が成立している状態を前提とした概念として語られています。

System for Value Delivery は「権限委譲の方法」を示す枠組みではない
PMBOK第8版の特徴的な概念であるSystem for Value Delivery(価値提供のためのシステム)は、
権限委譲の方法や手順を示す枠組みではありません。
これは、
- 価値ある成果に向けて
- 原則にもとづき
- パフォーマンスを高めるために
どのような思考の流れでプロジェクトを捉えるべきかを示す、認識の枠組みです。
そのため、System for Value Delivery の説明の中では、「誰にどの権限を委ねるべきか」といった具体論は語られていません。
しかし同時に、この枠組みは、判断と責任が適切に分散されていることを暗黙の前提としています。
権限が集中し、判断が滞る状態では、価値提供のシステムそのものが機能しなくなるからです。

High-Performing Project Teams が示す明確な因果関係
PMBOK第8版の中で、権限委譲と自律性が最も明確に語られているのが
2.6.2.4.2 High-Performing Project Teams の一節です。
Empowerment, delegation, and autonomy. Project team members who feel empowered
to make decisions about the way they work and about specific details in the deliverables
being produced—even under limited range—perform better and have a higher degree of
satisfaction than those who are micromanaged.(訳)権限付与、権限委譲、そして自律性。たとえ限られた範囲であっても、仕事の進め方や成果物の詳細について決定権を与えられていると感じているプロジェクトチームメンバーは、マイクロマネジメントされているメンバーよりもパフォーマンスが高く、満足度も高い。
PMBOK(R)第8版 2.6.2.4.2 High-Performing Project Teams より引用
この節では、高いパフォーマンスを発揮するチームの特徴として、
- Empowerment
- Delegation
- Autonomy
が明確に挙げられています。
ここで注意すべき点は、Empowerment(権限付与)と Delegation(権限委譲)は、同じ概念ではないということです。
Delegation は「誰が判断するのか」という権限配置の設計を指すのに対し、Empowerment は「判断できる状態にあるか」「判断できると本人が感じているか」という、能力や心理的側面を含んだ概念です。
つまり、Delegation は「誰がどこまで判断してよいか」を定める設計であり、Empowerment は、その設計のもとで、チームが実際に判断できている状態を指します。
PMBOK第8版の論理は、次のように読み取れます。
- 高いパフォーマンスを発揮するためには
- チームが自律的に判断し行動できる必要がある
- その前提として、権限委譲(Delegation)と権限付与(Empowerment)が不可欠である
逆に言えば、権限委譲が行われていない状態、あるいは委譲されていてもエンパワメントが成立していない状態では、結果的にパフォーマンスは低下するという因果関係が示されています。
Judgement(判断)は一人で担うものではない
PMBOK第8版では、Judgement(判断)という言葉が繰り返し使われています。
ここで語られている判断は、プロジェクトマネージャー個人の判断力だけを指しているわけではありません。
状況に応じて、
- チームが判断する
- 専門性を持つメンバーが判断する
- ステークホルダーやスポンサーが判断する
といったように、判断の担い手を適切に切り替えることそのものが、プロフェッショナリズムとして位置づけられています。
これは、権限委譲を「任せるかどうか」という二択ではなく、判断をどこに置くかを設計する問題として捉えていることを意味します。
PMBOK第8版が前提としている権限委譲の哲学
ここまで見てきたように、PMBOK第8版は、権限委譲の方法を教えるガイドではありません。
しかし一方で、権限委譲が成立していない状態では、プロジェクトが機能しないことを前提として書かれています。
特に High-Performing Project Teams の議論を読むと、権限委譲と自律性は、高い成果を生むための必要条件として明確に位置づけられていることが分かります。
PMBOK第8版は、従来のガイドと比べて「自由度が増した」と評価できますが、
それは同時に、プロマネに求められる能力の成熟度が一段引き上げられたことを意味しています。
権限委譲が「当然成立しているもの」として語られているからこそ、プロジェクトマネージャーは、
権限委譲を意識的に学習し、実践できる能力を自らのスキルとして獲得していく必要があります。
これは単なるプロジェクト運営のテクニックだけではなく、ピープルマネジメントやキャリア形成を含めた、プロジェクトマネージャーとしての基礎能力として、今後ますます重要性が高まっていく領域だと言えるでしょう。
プロジェクトと経営における権限委譲の違い
PMBOK第8版が権限委譲と自律性が成立していることを前提に、高いパフォーマンスを論じていることを確認しました。
しかし、ここで一つ整理しておくべき点があります。
それは、プロジェクトにおける権限委譲と、経営における権限委譲は、同じ言葉でも意味合いが異なるという点です。
この違いを理解しないまま議論すると、「どこまで委ねてよいのか」「なぜ任せてもらえないのか」といった混乱が生じやすくなります。
本章では、両者の違いを整理し、プロジェクトマネージャーがどの視点を持つべきかを考えていきます。

経営における権限委譲:成果責任の単位を分ける
経営における権限委譲の本質は、
成果責任の単位をどこに置くかという設計の問題です。
経営の文脈では、権限委譲は次のような目的で行われます。
- 組織をスケールさせるため
- 意思決定を迅速化するため
- 経営者一人に判断が集中することを避けるため
この場合の権限委譲は、
事業・部門・役割といった比較的安定した単位に対して行われます。
一度委ねられた権限は、短期的には回収されにくく、中長期的な成果責任とセットで保持されるのが一般的です。
つまり、経営における権限委譲とは、組織構造そのものを設計する行為だと言えます。
プロジェクトにおける権限委譲:判断を適切な場所に置く
一方、プロジェクトにおける権限委譲は、経営とは異なる性質を持っています。
プロジェクトは、
- 期間が限定されている
- 目的が明確である
- 不確実性が高い
という特徴を持つため、権限委譲は 固定的な配置 ではなく、状況に応じて調整されるものになります。
PMBOK第8版が強調しているのは、「誰が偉いか」ではなく、「誰が最も適切に判断できるか」という視点です。
そのためプロジェクトにおける権限委譲は、
- 一時的である
- 可変的である
- 状況依存である
という特徴を持ちます。
これは、経営における権限委譲と決定的に異なる点です。
なぜプロジェクトでは「委ね方」が難しいのか
プロジェクトにおける権限委譲が難しい理由は、単に個人の力量の問題ではありません。
難しさの本質は、次の点にあります。
- 成果が短期間で求められる
- 失敗の許容度が低い
- 利害関係者が多い
こうした条件下では、判断を委ねることがリスクとして捉えられがちです。
その結果、
- プロジェクトマネージャーが判断を抱え込む
- 承認待ちが増える
- チームの主体性が低下する
といった悪循環が生まれます。
PMBOK第8版が示しているHigh-Performing Project Teams の議論は、まさにこの状況への警鐘だと読み取れます。
プロジェクトマネージャーに求められる視点の転換
ここまで整理すると、プロジェクトマネージャーに求められる役割が見えてきます。
それは、自らが判断し続ける存在から、判断が適切に行われる構造を設計する存在へという転換です。
プロジェクトにおける権限委譲とは、責任放棄ではなく、信頼の問題だけではない、
パフォーマンスを最大化するための判断配置の設計です。
この視点を持つことで、プロジェクトマネージャーは経営とプロジェクトの間に立つ存在として、
より高度な役割を果たすことができます。
経営とプロジェクトをつなぐ「権限委譲」とPMOの役割
経営とプロジェクトにおける権限委譲は、同じ言葉で語られていても、その単位や時間軸が異なります。
この違いを調整せずにプロジェクトを進めると、
- 経営は「委ねたつもり」
- プロジェクトは「判断できない」
というギャップが生じやすくなります。
このギャップを埋める役割を担うのが、PMO(Project Management Office)です。
PMOは、単に進捗や手続きを管理する組織ではありません。
本来の役割は、
- 経営レベルで定義された意思決定の考え方を
- プロジェクトが実際に機能する判断構造へと翻訳すること
にあります。
言い換えれば、PMOは経営の権限委譲を、プロジェクトが実行可能な形に変換する存在だと言えるでしょう。
PMBOK第8版が、権限委譲の具体的な方法を示していないのは、この部分が組織ごとに設計されるべき領域だからと解釈できます。だからこそ、PMOの設計と成熟度は、組織全体のプロジェクトパフォーマンスに直結します。
まとめ ― なぜ今、プロジェクトマネージャーに権限委譲の理解が求められるのか
本記事では、権限委譲というテーマを、経営学・組織論の理論から出発し、PMBOK第8版の記述を読み解きながら考察してきました。
ここで改めて確認しておきたいのは、PMBOK第8版は、権限委譲を詳しく説明していないにもかかわらず、権限委譲が成立していることを前提にプロジェクトマネジメントを構築しているという点です。
権限委譲は「高度な前提条件」になっている
第8版では、
- 自律的なチーム
- Judgement(判断)
- High-Performing Project Teams
といった概念が中心に据えられています。
これらはいずれも、判断と責任が適切に委ねられている状態を前提にしなければ成立しません。
言い換えれば、PMBOK第8版は、権限委譲ができていない組織や個人を、もはや前提としていない
とも読み取れます。
これは、ガイドとしての自由度が増した一方で、プロジェクトマネージャーに求められる成熟度が引き上げられたことを意味しています。
権限委譲は「人に任せる話」ではない
権限委譲という言葉から、
「仕事を部下に振ること」や
「現場に丸投げすること」
を想像してしまうことがあります。
しかし本記事で見てきたように、
権限委譲の本質は、成果を生むために、判断をどこに置くかを設計することです。
それは、
- 責任放棄ではありません
- 信頼論だけの話でもありません
プロジェクトのパフォーマンスを左右する、構造的な判断です。
プロジェクトマネージャーにとっての実務的示唆
PMBOK第8版を前提に考えると、プロジェクトマネージャーには次のような姿勢が求められます。
- 自分が判断すべきことと、委ねるべきことを意識的に分ける
- 判断が集中しすぎていないかを常に振り返る
- チームが判断できるための前提条件を整える
これらは、チェックリストで管理できるスキルではありません。
経験と内省を通じて磨かれていく、ピープルマネジメントの能力だと言えるでしょう。
権限委譲はキャリア形成のテーマでもある
最後に強調しておきたいのは、権限委譲は単なるプロジェクト運営の話ではなく、
プロジェクトマネージャー自身のキャリア形成にも直結するテーマだという点です。
- いつまでも判断を抱え込むPMでいるのか
- 判断を設計できるPMへと成長していくのか
PMBOK第8版は、その分岐点にプロジェクトマネージャーを立たせています。
権限委譲を「難しい話」として避けるのではなく、自分自身の成長課題として引き受けることが、
これからのプロジェクトマネージャーには求められているのではないでしょうか。
関連書籍・文献
古典マネジメント理論(権限委譲の原点)
- General and Industrial Management
Henri Fayol - The Functions of the Executive
Chester I. Barnard - The Practice of Management
Peter F. Drucker
現代理論(意思決定・リーダーシップと権限委譲)
- Leadership and Decision-Making
Victor H. Vroom & Phillip W. Yetton - Leadership and the One Minute Manager
Ken Blanchard et al. - Decision Rights
Harvard Business Review
PMBOK・プロジェクトマネジメント関連
- A Guide to the Project Management Body of Knowledge (PMBOK® Guide) – Eighth Edition
Project Management Institute - PMIstandards+
Project Management Institute

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